

2026/07/13
メイド服や自撮りを「自意識過剰」としか読めない大人を前にすると、もはやその想像力の乏しさに心の中で細く笑んでしまう。着ぐるみを纏う身体そのものがイベントという場に祝祭性を生み、服装というコードがケアの関係性を成立させることは、個人の承認欲求に還元する読解では見えてこない。 意外に思われるかもしれないが、放蕩書店のお客さんは女性のほうが比較的多い。私が好き勝手に生きている姿を見ることで、「自分もこう生きていいのだ」という許可を受け取る人も少なくない。「流しのメイド」は私を特別な存在にするための衣装ではなく、他者が自分の生き方を少しだけ肯定しやすくするための実践でもある。だから、それを私の承認欲求だけで説明されてもちょっと困っちゃう。 本当に人をケアしてくれるのは本である。もっと正確に言えば、読解のうちで人は好き勝手に回復している。メイドは遠ざかってしまえば霧で見えなくなった案内人のランプに過ぎない。それでいい。 もちろん、生身のままケアの関係性を築く本屋もいる。いっぱいいる。すごいと思う。私の場合は普段は人見知りなので、少女性という身体のコード


『この度、阿佐ヶ谷を引っ越すこととなりました。そう遠くには行きませぬ。—放蕩書店大感謝フェア—』
家の配線を全部ネズミに噛まれても、猫と一緒にいれば暖房より暖かい。金なら誰かにせびればいい。人の金でたらふく食って、気持ちよくなったまま死にたい。やっぱいいや、わたし、ひきこもんない。自分で金稼いでピアス開けて、太ももの誰にも見せないところにタトゥーを入れて、酒飲んで村に火をつけ白痴になる。
いってまえ! イソベさんの笑顔を見ると、どんと背中を押された気になって、やりたいことやっちまう。
お店の近所に住んでいるから、店番させてもらったり私生活までお世話になった。この2年間はとてつもない猛烈なものに突き動かされて目まぐるしい日々だったが、ずっとイソベさんというエンジンを積んでいて、絶対に大丈夫と思わせてくれたから、なんでもできた。暖かい太陽のような健康な人を見ると、自分の体が弱いせいもあってか、とても清々した気持ちになる。強くて羨ましいという僻みではなく、イソベさんが元気そうに生きていると、ビールのプルタブを開けたようなスカッとした音が聞こえてくる。耳の内側で高揚感のため聞こえている場合もあるし、実際にイソベさんが酒を開けている場合


2026/04/07、2026/04/08
宗沢香音の日記です。































